10日の夜、真央ちゃんの引退を聞いてから、
感情がおかしくなっているのか、一滴の涙も出ない。


清らかで穏やかな真央ちゃんの引退に、
いちいち汚物をやたらと絡めてくるマスゴミに怒りだけは湧いてくる中、
更にこのスケ連の連中の記事を読んで切れた。



http://m.sponichi.co.jp/sports/news/2017/04/11/kiji/20170411s00079000162000c.html

橋本聖子会長 浅田真央に敬意と感謝 スケート界躍進に大貢献
[ 2017年4月11日 11:35 ] スポーツ

フィギュアスケートの元世界女王・浅田真央(26)が現役引退を表明してから一夜明けた11日、日本スケート連盟の橋本聖子会長(52)らがコメントを発表。最大級の賛辞を贈った。

 ▼橋本聖子会長 長い競技生活、本当にお疲れさまでした。今日のスケート界の躍進があるのは、浅田真央選手が世界の頂点を極め続けた大活躍のおかげです。そのひたむきな努力と、それを支えた人間力に、心より敬意と感謝を申し上げます。これまでの経験を活かし、次のステージで一層のご活躍を祈っております。

 ▼伊東秀仁フィギュア部長 突然の引退に大変驚いております。平昌オリンピックまで頑張っていくと思っていましたので、色々考えての大きな決断であったと思います。浅田選手の日本のスケート界、いや世界のスケート界に残してきたものは計り知れません。功績だけでなく、多くの人々に夢と感動をもたらしてくれました。また、現在のスケート選手は浅田選手を見て、スケートを始めた選手がたくさんおります。彼女の素晴らしいスケートは多くの選手の目標であり、憧れと思います。本当に長い間、お疲れさまでした。今後は新たな夢と目標に向かって頑張ってほしいと思います。

 ▼小林芳子強化部長 引退の一報を聞き、残念な気持ち、寂しい気持ち、まだ一緒に行ける、行こう、もうつらいんだ、と色々な気持ち、相反する思いでいっぱいでした。でも昨夜、浅田選手から電話をもらい、お話ししているうちに、次のスタートラインに立った彼女を応援しようと爽やかな気持ちになりました。2005年世界ジュニアで初めて帯同し、昨年のグランプリフランス大会が最後になりました。スケートが楽しくて楽しくて天真爛漫に演技する姿から、気持ちと身体がうまく連動できず苦しむ姿まで多くの浅田選手を真近で見てきました。10年以上、浅田選手の競技に連盟役員として関わってきましたが、この間、スケート界に残した功績は計り知れません。それ以上に日本のみならず世界の人々にフィギュアスケートの素晴らしさ、そして感動を与えてくれました。ひた向きに努力する姿、つらい時も決して弁解することなく真っ正面から立ち向かう姿に心惹かれたことと思います。まさに、スケート界の歴史の1ページに刻まれる選手です。本当に長い間お疲れさまでした。そして、ありがとう。これからの新しい夢に向かって全力で、たまには力を抜いて、頑張ってください。

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橋本聖子1伊東秀仁 フィギュア1小林1









この能無しども、「お疲れさま」じゃないだろう!
お前たちはソチで一体何をしたんだ! 
そして「すべき」何をしなかったんだ!

最悪なアルメニアのリンクへ、真央ちゃんと鈴木さんを送り込んで
体調を狂わせたことと、ブレードをガタガタにさせたことの責任を
誰も取っていない。


お前らの無能、無責任、無駄飯食いは絶対に忘れないし、
真央ちゃんの引退を期に、アルメニアのリンクのことを無かったことにはさせない!

アリ・ザカリアンとはどんな取引をしたのか?
橋本聖子 お前のパワハラ、セクハラも絶対に忘れない。
いつか絶対責任を取らせてやる…!!!!!!



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<追加>木さんご紹介の記事です。m(_ _)m


浅田さんの挑戦支えた靴 調整任された小塚さん
2017年04月13日

 「フィギュアスケートの一時代が終わった」。浅田真央さんのスケート靴を調整してきた小塚嗣彦つぐひこさん(70)は、寂しそうに語った。

 小塚さんは、2010年のバンクーバー五輪に出場した元フィギュアスケート選手の小塚崇彦さん(28)の父。名古屋市内のスケートクラブでコーチを務め、浅田さんが米国から練習拠点を愛知県に戻した08年頃から、浅田さんが使うスケート靴のブレードの調整を任されてきた。

 自分のスケートクラブ以外の選手のために靴を手がけるのは、浅田さんと姉の舞さん(28)が初めて。姉妹2人とも崇彦さんと仲が良く、11年に死去した浅田さんの母匡子きょうこさんから頼まれたのがきっかけだった。

 浅田さんが研磨を業者に任せていた頃は、靴をはき始めてからジャンプした時にエッジが「しっくり氷をかむ」と感じられるようになるまで1週間ほどかかった。小塚さんが研ぐと、浅田さんは「その日からちゃんと滑れる」と驚いたという。

 「真央がうまく滑れなかったら自分のせい」。そう語る小塚さんに浅田さんは厚い信頼を寄せ、小塚さんが調整したブレードで五輪のリンクにも立ってきた。

 小塚さんは14年のソチ五輪を思い返すと、今も胸が痛む。団体戦を終えた浅田さんは、金メダルを期待された個人種目に向けてモスクワでの調整を望んでいた。だが実際の練習拠点は、他の女子選手と同じアルメニアのリンクに。氷の質が悪く、ブレードは短期間で刃が丸くなった。それがショートプログラムで本来の滑りを見せられず、16位と大きく出遅れた一因になったという思いが拭えない。

 ソチで浅田さんを支えていたスタッフが急きょ研ぎ直すことになり、フリーで世界中を感動させる滑りを見せたものの、「最後の五輪」は6位に終わった。「そのことを胸にしまい込み、言い訳にしなかった真央は本当に立派です」と目を潤ませた。

 「真央の素晴らしい演技を見たいというファンは多い。プロスケーターになっても、変わらずエッジを研ぐでしょう」。心を込めた研磨で浅田さんの技を後押ししてきた小塚さんは「これからも支えてあげたい」と静かに語った。(宮島出)

2017年04月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


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城豚憲子<追加> ケオリンさんご紹介の記事ですm(_ _)m
自分で邪魔しといて、ふざけるなシロタ🐷!


真央がトリノに出ていたら「金」…城田元強化部長
2017年4月12日5時0分  スポーツ報知

10日に引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=。98年長野から06年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務め、現在はANAの監督として活躍する城田憲子氏が強烈な出会いの印象を明かし「トリノ五輪に出ていたら金メダルだった」と語った。

荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも14歳だった真央ちゃんが出場していたら―。金メダルを取っていたと今でも思っている。トリプルアクセルを跳べればという前提になるけど、真央ちゃんは、おそらく満点近い点数をジャッジから与えられる要素を持っていた。氷上での美しさであり、ジャンプのダイナミックさ、そして演技力。トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった。

初めて会ったのが彼女が8歳の時。これは私の長い強化の人生でも永遠の思い出。夏の長野・野辺山での有望新人合宿に山田満智子コーチが姉の舞さんといっしょに連れてきた。厳しい山田先生が「すごいのよ」と言う。基礎を教えるのがうまい門奈(裕子)コーチの指導を経ての来訪とも聞いていたけど、ひと目見た瞬間、滑りすら見てないのに、「この子は将来、必ず世界チャンピオン、五輪で金メダルを取るな」と直感した。エレガントさがあり、何と言ってもキュート。これって理屈じゃない。せっかく来てくれたのに、名古屋までそのまま帰すのもかわいそう。合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、ルールを取っ払って入れた。

フィギュアスケーターの育成は、花を咲かせることに似ている。水をやりすぎると根腐れしちゃうし、日に当てなければ育ちが遅くなる。今だけでなく、先々へ考えを巡らせなくてはならない。02年全日本選手権は出場資格の年齢の壁をなくし、若年層にも幅広く門戸を広げた。当時小学6年生、12歳だった真央ちゃんはトリプルアクセルは跳ばなかったけど、3―3―3回転を降りて7位。ジャンプに確実性があり、ぶれない軸の強さがあった。戦うことにちゅうちょしない子だったけど、全日本に出す前の経験と考え、海外のノービス(ジュニアの下のクラス)の大会に出した。幼い頃に海外の舞台に立つという経験は、将来世界に出たときに必ず役に立つことだから。頼み込んで出させてもらった大会で、いつも真央ちゃんが表彰台の真ん中だから、欧州のジャッジたちに「ミセス・シロタ! またですか(笑い)」と、うらやましがられたりもした。

荒川ら世代との交代後、最高のライバル安藤美姫らと黄金世代を築き、フィギュア界に多くの恩恵をもたらせてくれた(※注)。広いアリーナでジャッジ、多くの観衆を魅了する演技をするフィギュアスケートは、類いまれなる能力がないとできない。そのトップを突っ走って時代を築いた浅田真央には、今度は1人の社会人として、もう一つの大きな花を咲かせて欲しい。

※注 浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。

◆城田 憲子(しろた・のりこ)東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、ダンス部門全日本選手権2連覇。引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、98年長野五輪から、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた。国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪などの国際試合でレフェリー、ジャッジも務める。現在は羽生結弦が所属するANAの監督。
<補足>2006年の日本スケ連の不正会計問題の首謀者の一人。


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<追記> この模様が繰り広げられていた男子FSのあった2014年2月14日の夜には 、
アルメニアのリンクで体調を崩し、ブレードもガタガタになってしまった真央ちゃんたちは、
アルメニアを発つ準備をしていたと思われます。翌日の15日、ソチに戻って来ました。
表彰式前7
<6月4日追記>この写真は ↓ 2014年2月15日なので、真央ちゃんが帰ってきた日の夜です m(_ _)m
syukusyoukai
真央アルメニアからソチ入り20140215-1

もう一度言う

アリ・ザカリアンとはどんな取引をしたのか?





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